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思い出の本 3


 「パイプのけむり」團 伊玖磨、1965年〜

     (朝日新聞社、1965.11.30 初版発行、318p)


1965
パイプのけむり

1967   続
パイプのけむり

1968  続々
パイプのけむり

1969   又
パイプのけむり

1970   又々
パイプのけむり

1972  まだ
パイプのけむり

1972
エスカルゴの歌

1973 まだまだ
パイプのけむり

1975  も一つ
パイプのけむり

1976  なお
パイプのけむり

1978 なおなお
パイプのけむり

1980  重ねて
パイプのけむり

1981 重ね重ね
パイプのけむり

1982 なおかつ
パイプのけむり
1983 またして
1984   さて
1987 さてさて
1988 ひねもす
1989よもすがら
1990 明けても
1991 暮れても
1993 晴れても
1994 降っても
1996 さわやか
1997 じわじわ
1999 どっこい
2000 しっとり
2001 さよなら
 

 実家の段ボール箱から30年ぶりに出てきました。1964年から週刊誌「アサヒグラフ」に連載された61編がまとめられて、1965年に最初の「パイプのけむり」が出版されました。
 私は1973年から「パイプのけむり」を読み始め、「まだまだパイプのけむり」からは出版に追いつき、1982年「なおかつパイプのけむり」まで約10年間読みました。それ以降は読んでいませんが、2000年に「アサヒグラフ」が休刊するまで書き続けられ「さよならパイプのけむり」(27冊目)」まで出版されたようです。

 少しめくってみると1964年の東京オリンピックのことが書かれていました。
「....なにしろ、最近のオリンピック騒ぎは全くどうかしている。気に入らぬ事が沢山目や耳に入って来て、不快でやり切れぬ。....
....世界中の人がやって来て、走ったり飛上がったり転んだり思い物を持上げたり取っ組合ったリすること自体は、別に構わないと思っている。然し、何となくそれに伴って渦を巻いている、所謂”オリンピック・ムード”というものは、どう考えてもうそ寒くて歯が浮くような調子で、厭で厭で仕方が無い。.....
....棒の先から煙を出して、ランニング姿で走る、あの焼打ちの練習のような姿は実に愚劣である。
 東京で磨るマッチ一本を節約するために三千万円だかと使って遠くからわざわざ火種を持って来るなどという神経は、やはり呪文の世界の神経であって、僕にはまるっきり判らない。」(團伊玖磨「パイプのけむり」より引用)

 そう書きながら、あとがきによると團伊玖磨氏は「オリンピック開会式序曲」を作曲されたようです。食べ物や旅やいろんな生き物、特に植物の話もいっぱい載っていたように思います。読み返すと昔読んだ時とはまた違っておもしろそうですし、まだ読んでいない続編もいっぱいあるので、これからの楽しみです。

(2013.12.9. Yo )


 「エスカルゴの歌」團 伊玖磨、1964年

     (文化服装学院出版局、1964 初版発行、267p)

 「パイプのけむり」シリーズの本を上記のように並べたときに、「エスカルゴの歌」を1972年として中に入れていました。私が読んだのはこの順番で、この装丁の本が1972年12月15日第1刷発行で間違いないのですが、この本は1964年初版(文化服装学院出版局)の再刻であり、1972年の著者の「まえがき」にも、「随筆『パイプのけむり』の前奏曲(プレリュード)として読んでいただければ、と今の僕は思う...。」と書かれています。

 2016年に出版された「貝のストーリー」(東海大学出版部)の中で、「イソアワモチの暮らし」を書かれた濱口寿夫さんは、「團 伊玖磨の随筆に『エスカルゴの歌』という名作があるが、その中で、エスカルゴが雌雄同体であることから想像を巡らした記述がある(團, 1964).」と書かれていました。そこで読み返してみると、どの話もとても魅力的で、特にエスカルゴの飼育観察の詳細な記述は圧巻でした。

1983.6.21 白良浜に打ち上がったルリガイ 1個(左端)とアサガオガイ3個

 「エスカルゴの歌」を若いときに読んでから多くの月日が流れ、無意識にいつの間にかこの本の中に書かれていることの追体験を今までにしてきたことが次々と思い浮かんできて、とっても不思議な感じがしました。

 竜舌蘭の花が咲いたと聞いて見に行き、アーティチョークを育ててその蕾を食べて花も見ました。海辺に住んで浜べに打ち上がったあさがおがいをひらいました。フランクフルトの世界最古といわれる動物園にも行き、パリでエスカルゴを食べました。三浦半島の先にも行ったし、時計草の花も育てました...。
 そして、戦争の頃に真夏の炎天下で油壺の臨海実験所におられた生物学専攻の叔父さん達と共にソラスズメダイを追いかけたという思い出が語られていますが、1976年秋に、その團 勝磨先生や夫人の團ジーン先生が話されるのを聞くこともできました。

 

(2017.12.12. Yo )


(2017.12.12 撮影)


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