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与論島

ー1972年3月24日〜4月4日ー


鹿児島県与論島の地図


北側から撮影された絵はがき 1972年頃
(奥に沖縄が見える)

「...1972年3月24日10時、大阪南港から老朽船の”浮島丸”で海に出た。どんより曇った中をたえず全身をゆり動かされて耐えていると、いつのまにか船のまわりに見えるものは水平線だけになった。そして種子島をはじめにいくつかの島に停泊しながらゆっくりと南下し、船で2泊して3月26日21時に、はしけで与論島の供利港に着いた。星が輝いていた。
 そして翌日、夏のような太陽が出て海がエメラルド色に輝き、沖のリーフで白い波がくだけ散っていた。陸では島一面、青・黄・赤のかわいい不思議な花が咲き乱れ、アダンやパンの木など南の国の植物が茂り、シロオビアゲハが飛んでいた。そして島のほとんどがさとうきび畑だった。島の人達は何やらさっぱりわからないことばをしゃべり、島のどの子も真っ黒な顔をして目をくりくりと光らせとびはねていた。やんちゃでバスの中でけられたりもしたが、親の手伝いをしてよく働いていた。都会から来た若者たちは自由なかっこうをして砂ぼこりのあがるバス道をさとうきびをしゃぶったりしながら急ぐでもなく元気に歩いていた。
 幾日かが夢のようにすぎた。帰りは大きな"黒潮丸"(5ooot)で、潮の流れにものって1泊で神戸港に着いた。(1972 Yo)」


アメフラシの仲間(体長約12mm)


アメフラシの仲間(体長約3mm)


アメフラシの仲間(体長約6mm)

 高校3年生になる春に、先生とともに生徒数人で磯の生き物を見るために与論島に行きました。沖縄返還(1972年5月15日)の直前で、リーフまで小さな舟で連れて行って下さった漁師さんが、戦争中は島から沖縄が攻撃されるのが見えたと言われていたような記憶があります。
 はじめて見た枝サンゴやその中にすむパイプウニやマンジュウヒトデ、オニヒトデなど珊瑚礁の島の海の生き物は、それまで見ていた大阪湾の生き物とは違いとってもおもしろかったです。茶花東方(3/27)、チヂ崎(3/28,4/1,2)、ミナタ離(3/30)、前浜(3/31,4/3)、赤崎、宇勝崎(4/3)と、島の周囲の磯を見て回りました。上記の小さなアメフラシの仲間は海藻についていたと思いますが、どれもスケッチに採集日・場所の記載もなく不明です。(2014.2.7. Yo)

ー1975年3月11日〜3月16日ー

 大学生の頃、ほぼ同じメンバーで与論島を再訪しました。「第1回南西諸島調査」と称して、予定では3月4日から4月1日にわたって奄美大島の笠利、与論島、石垣島、西表島、沖縄本島中部西海岸の海の生き物を数日ずつ滞在して調べるというもので、その中に与論島も含まれていました。「第2回南西諸島調査」はありませんでした...。
 1975年3月11日朝5時半に奄美大島の名瀬を出航して、照国郵船"ハイビスカス号"2等で午後3時に与論島の茶花港に着きました。徳之島3月11日の採集記録があるので途中立ち寄ったようです。


チドリミドリガイ(徳之島)
(体長約30mm)



キフチミドリガイ
(体長約10mm)



ミガキブドウガイ
(体長約15mm)


 3月16日午後2時発の大島運輸"ひかり丸"2等で茶花を出て、午後5時半に沖縄本島の那覇港に渡りました。

(2014.2.7.Yo)  

ー1973年3月21日〜3月29日ー

 1972年春、濱谷 巖先生( ~2017.11.6) が、私にとって初めての南西諸島行きだった与論島に連れて行ってくださいましたが、先生の翌春の「奄美大島調査」にも他女性2名と同行しました。3月21日、大阪天保山午前9時に関西汽船黒潮丸(5000t)特2等に乗船、11時に神戸中突堤、翌朝10時10分に奄美大島の名瀬に着きました。
 笠利の民宿に滞在してウミウシ他を探しました。移植実験で生物教科書にも出ていたカサノリAcetabularia をそのとき初めて見ることができました。濱谷先生は南西諸島に何度も行かれて、奄美大島産カサノリ群落に生息する嚢舌類のカサノリタマノウミウシMourgona osumi Hamatani, 1994を新種記載されています。

   Iwao Hamatani 1994:A new species of Mourgona Marcus & Marcus, 1970, M. osumi n. sp. (Opisthobranchia: Ascoglossa), found in Acetabularian Microfauna from Amami-Oshima Island, southwestern Japan)、貝類学雑誌Venus 53(1): 21-27


 3月28日19時20分に同じ黒潮丸(5000t)特2等で、奄美大島名瀬港を出て、29日17時30分に神戸中突堤、19時10分に大阪天保山に着きました。4月から、濱谷先生の出身大学の後輩になりました。

(2018.11.2.Yo)  


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